タイタニックでサンデーを

沈みゆくタイタニックでも、サンデーパフェはサンデーだ。

チーノ・4月ってほんと人を試してくる

このSONYのヘッドホン、6年選手で現役。すごい。

 

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職場に新しい人が来ました。

オドオド、シドロモドロ、挙動不審な感じの人。

 

結構頑張って、だいぶ頑張って、その人のことを受け入れようとしたのですが

なかなかどうして、難しいです。

 

 

仕事頼まれると、上司の名前を出して断ってるし(○○さんと、ぼちぼちいくって話してて…って言う)(自分でしんどいです、申し訳ございませんとか言え)

そのくせ私が私の仕事をしただけで、してくださってありがとうございますって言ってくるしで不信感。(私がアナタのためにやったのだと思っている?)

 

チリツモで、ダメだーーーーとシャッター降ろしてしまった。

 

 

いい大人になってきてこんなこと思うのも未熟だなと思って色々調べました。

色んな人の考えがバーっと見れるからネットって便利。

 

職場、苦手な人、どうしたらいい。

 

相手は自分を映す鏡、嫌いな人は自分のダメなところを反映しているとか。

他人に怒り・嫉み・妬み・嫌悪を抱くことは不徳とか。

迷惑掛けられたワケじゃないんだから嫌うのはアナタが悪いとか。

 

自分から調べたくせに、何一つ共感できなかったもんで、うるせーと思ってブラウザを閉じた。

 

 

 

 

 

仕事で使う書類の中に、斎藤茂太が残した言葉で『他人に花をもたせよう。自分に香りが残る。』というのが載っていた。

人に優しくしてやることで得るものがある…人としての魅力がつく…みたいな、そんな感じかなーと解釈。

 

私をなめんじゃないよと。花をあげるのは、その花が似合うような人に限るんだよと。

ぶっちゃけ、うーんちょっと無理、とか思っちゃった人にはもう花を渡すことなんてない。

私が持っている花の匂いを嗅いで野原へ行き探せと、その努力が出来ない人に端から花を渡してやることはしないよと。(ハナだけに)

 

ひねくれきった気が強い私は、そんなことしか思い浮かびませんでした。申し訳ありません。

 

 

 

そんな私が好きな言葉は、禅語にある『平常心是道(びょうじょうしんこれどう)』ってやつ。

多分私がいいように解釈してしまっているので、本当のところはちゃんと調べてほしいのですが。

ありのまま、本当にありのまま素直に感じた自分の気持ちが平常心であるということ、のようです。努めて平坦にする心の在り方ではなく、受けた世界を純粋に感じていくことが禅における平常心みたいな。

 

私はみんな、それでいいのになと思ってます。

頑張って我慢して、感情を抑えるのは大人だなーと思うけど、その生き方では私は楽ではないような気がするので*1

 

 

あったかいご飯は美味しいし、愛想のある人が好きだし、加熱式タバコはやめられないし、我慢することが一番苦手だし、私は弱くて素直な人間だし。

 

 

チーノ

*1:+_+

気分のいい土曜日とセーフプレイスの話。

 

こんにちは、ゆとりです。

みなさん、お身体にお変わりございませんか?

変わっていたっていいですよね。

ただ健やかにお過ごしでしたら、なによりです。

 

いま、これは4月の天気がいい土曜日です。

母に昼食のパンを届けるまでの、ちょっとした時間。

近所のブルーボトルコーヒーに寄ってみたら、たったひとつのテラス席が空いているではないですか。

座らない理由を探すよりも早く、鎮座して、いまこれを書いています。

 

気分のいいとき、

僕はなにかを書きたくなります。

そしてだれかに話したくなります。

でも、電話をする勇気は持ち合わせてないんですよね。

電話したい人はたくさんいるんです、幸いなことに。でも、恥ずかしいんです。

 

いま思えば、このブログはそのためにあるのかもしれません。

僕が、共著している友人2人が、才能溢れる物書きだからではなく、ただこの身体には収まりきらない思いを、なかったことにしないための、セーフプレイス。

そういえば、ネットとは、かつてセーフプレイスでしたね。

いま、そのような場所はあるのでしょうか。仮にないとなれば、僕たちはそれを、創り出すことになっているのでしょうか。

考えることはまだまだ多いようです。

 

さいごに、僕がいま書いている詩の一節を。

 

 

‘cause i came from nowhere 

だれも 雨が雪へと変わるときを 

知らないように

話せば長い長い話です

語り部は 僕

  ただ1人でいい

”I came from nowhere"より抜粋

チーノ・春、とは関係ない話。

 

 

 

 

チーノです。

 

 

私、どうも人からナメられるタチみたいで。

物心ついた頃くらいからはもう自覚してました。

 

最初は気を遣ってもらえることが多いんですけど、少し距離が近くなると途端にみんな、私を“言っていい相手”に認識するようで。

 

 

 

私はどちらかと言うと友達以外の人たちには放っておいて欲しいし、一生気を遣ってもらえてた方が有難いとすら思っている。

 

でもなぜか、本当に分からない。

 

みんなすぐに踏み込んだことを言ってくるようになる。

 

 

 

 

私の中には明確に、オーケーな人と、ノットオーケーオールバッドな人がいる。

 

大抵の発言を寛容に受け取ることができる人は私にとってオッケーで、ノットオーケーオールバッドな人は大抵の発言で私の琴線に触れてくる。

 

 

 

 

オーケーな人は私のことを敬ってくれているとわかる人、私を面白いとか凄いとか思ってくれてる人のこと。

ノットオーケーオールバッドな人は、自分の方が凄くて賢いときっと思ってるし、私を隙がある人と認識している人のこと。

 

 

私は他人に何と思われるか気にするより好きなことしたいと思う節があるが、それを隙があると誤認識する人はバッドだ。

 

 

大概、いらんことを言うのはバッドな人。

 

踏み込んだこと言ってくるし、何と返せば良いか分からない話を長々としてきたりする。

 

つい昨日、休みの日にあと1ヶ月先納期の仕事を「まだやってなかったよ!」とワザワザ連絡をもらってゲンナリした。信頼ないなー。

 

 

 

 

私といえば愚痴・文句言わせりゃ日が暮れるのチーノ。

このブログだってもっと人間くさけりゃ良いと、言い訳して好き放題言ってます。

 

 

 

みんなだってさ、表立って顔とか言葉に出さないだけでこのくらい他人をケチョケチョに思ってるよね?

それとも、私って結構性格悪いのかい?

 

 

 

どんな気持ちも言語化するのが得意で、素直な性格だからってことでチャオー。

 

 

 

チーノ

 

 

 

意外とカワイイ靴下をコレクションしがちな性格でもあります。

 

 

死んだものに、詩を贈る。

「 昨日の人 」

 

あなたが楽しそうなところを昨日 みた

そしてひとりで生きていくと昨日 決めた

後悔を 着こなせと彼女はつよく言うけど

だれもがあの人みたいに 強くは生きられない

あなたを知って生まれ変わった明日が

こんなにも待ち遠しい

この世界に代役なんていないと 

この歳になって 知った

 

あなたが時折り落ち込んでる日も あった

どうしてわたし 気分がいいんだろう そっか

徳を積めば 次の世界でも幸せだと

言うけれど 前のわたしはきっと 罪人だったのね

あなたを知らずに生きてきた昨日が

あんなにも輝いてるの

この人生の主役はわたしだけだと 

そう おもっていた 昨日のわたし

 

昨日の人が わたしの前を歩いている

明日は私が その人になるんだろう 

 

 

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最後

3月1日。春が始まる日。

誕生日前日ということもあって、私にとっては最後の日、という感じ。

 

24歳、20代前半最後の日。20歳から仕事を始めて、社会人歴がもうすぐ丸5年。とてもじゃないけど短かったなんて思えなくて、本当に本当に長かった。10代の時の記憶が遥か遠くの過去になってしまった感覚がある。

 

2年前に転職した仕事が落ち着いた頃、私ってこのまま一生変わらないかも、と思った。やりたいことが叶う職場でそこそこ楽しく働かせてもらって、転勤もないし異動もないから実家でいつまでも暮らしてしまう、と。だから一人暮らしを始めて、家を借りた日から今日で1ヶ月。今のところ1人でも、何不自由なく楽しく暮らしている。このままずっと1人でも、多分何なく暮らせてしまうんだろうな、私は。

 

25歳の抱負は今のところないけれど、24年間は生かされていた分、25歳から生きてみることにしよう。

 

そんなどうでもいいことを書いていたら深夜になって、いつの間にか私は25歳になっていた。

 

二十九、三十

二十九、三十

 

チーノ・いつだって悩みたがるガール

 

 

一月をこたつの暖だけで乗り切ろうとして風邪になり、こじらせてから調子イマイチです。去年も同じことをしました、痛い目見ても覚えないモンですね。

 

 

やっぱり身体と心って繋がってるみたいで風邪が治ってもネガキャン炸裂してしまっている。

お金のこと、見た目のこと、体質のこと、人生のこと。人のこと見ていーないーなって思って落ち込んで。

ご飯ばっかり食べては生産性のないことを吐き出す。覚醒時のカオナシのよう。

 

今年の運勢を見てもらいに占いに行ったとき、「アナタは答えのないことを考えて将来を憂いるタイプだけど、毎日をあーよかったって終わらせないといけない運勢よ」と言われた。

もともと努力しないとポジティブになれない性格なようだった。

 

 

今自分が持ってるものを考える。

 

仕事がある、仕事につながる資格がある、髪の毛が綺麗、論理的に話すことができる、愛嬌がある、シュールギャグを楽しめる、料理ができる、歩くのが苦じゃない、コーヒーを美味しく飲める、自己投資をケチらない、ぬいぐるみが好き。

 

文字にしてみれば私って結構カワイイ感じの人間なように思えてきた。

なんか、何だこんなことで、ちょっと幸せになれるモンだな。

 

 

 

人って悩むのが好きで、考えるのが好きなんだと思う。大きいことを考えて憂鬱になるのはほんと、身の丈にあってない哲学みたいなもんなのに。

 

ただ幸せを望めば望むほど、叶わなかったときの悲しみを薄くするために自分を戒めてしまうよう。

目の前にあるものがどんどん現実味を帯びてくる最近、私と歳が近い人は同じような思考をしているんじゃなかろうか。

 

みんな頑張ろうな。何を持ってても持ってなくても、そこにある小さい幸せを見つけられるために頑張ろう。

 

 

 

チーノ

 

 

BOOKOFFで見つけたジロー君。

 

Reset and Party

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まずは、このブログで私が名乗る名前を考えなければならない。私は仕事でも私生活でも頻繁に文に触れるので、良いと思った単語や言葉を見つけるたびに書き溜めているメモがある。そのメモをふと見返すと、1番上に漣(さざなみ)という漢字が書かれていたので、以後そのまま名乗ることにする。これは先月仕事で行った富山の美術館の絵。

 


夏に韓国に行った話を書いてから、瞬く間に冬になったような気がする。その間に年も明けたし、ドラマはワンクール回ってしまった。ちなみに私は大のドラマオタクで、ワンクールに約20本の連ドラを観るし、並行してネトフリでアニメや映画も観る。大好きな映像作品の話は、いつか改めて語りたいのでまだ取っておこう。

 


2024年の目標は「リセット」に決めた。今はとにかくやりたいことだけをとことん突き詰めた20代前半戦の、ちょうど折り返し地点にいる。まとまらない気持ちで溢れていてこれ以上増やせない、ストレージ容量のないiPhoneみたいな状態。だから今年は、目の前にあるものをひとつずつ整理して、大事なこと以外は初期化して、もっと自分の中の空き容量を増やしたい。

 


転職してもうすぐ2年が経つ。今の仕事内容は好きで、良い意味でも悪い意味でも慣れてきた一方、やっぱりそれなりに不満もある。少しでも楽にストレスを解消できる方法を模索していると、それがまさに一人暮らしをすることだと気づいた。これまで理由をつけて実家でぬくぬくと暮らしてきたくせに、一度心に決めると即行動に走るのは昔からの癖。2日間の内見で7軒見て回って、ここに住みたい、と思える部屋は1軒だけだったので、迷わず契約した。もうすぐ引っ越し。きっと次のブログは、新居から書いているはず。

 


家族も友達も、なぜか私を含めた3人組ばかりだから、引っ越したらお気に入りのグラスを3つ買おうと目論んでいる。生活が落ち着いたらsundae’sの2人も招待して、買ったばかりの3つのグラスにワインを注いで、ピザパーティーを開催しよう。